
「過ぎたるはなお及ばざるが如し」という言葉
「過ぎたるはなお及ばざるが如し」。
一度は耳にしたことがある言葉ではないでしょうか。
何事もやりすぎるのは、足りないのと同じくらいよくない。そんな意味で使われることが多い言葉です。
けれど、この言葉が生まれた背景を知ると、単なる「ほどほどにしましょう」という教訓とは少し違って見えてきます。
『論語』には、この言葉が生まれた興味深いやり取りが残されています。
「やりすぎる人」と「足りない人」、どちらが上なのか
孔子の弟子である子貢が、孔子にこんな趣旨の質問をしました。
「子張と子夏では、どちらが優れているのでしょうか」
孔子は、子張については「やりすぎるところがある」、子夏については「足りないところがある」と答えます。
すると子貢は、こう考えました。
足りないよりは、やりすぎるくらいの方がいいのではないか。
そこで、「では、子張の方が優れているのですか」と尋ねます。
それに対する孔子の答えが、
「過猶不及」
つまり、
「過ぎたるはなお及ばざるが如し」
でした。
やりすぎているからといって、足りない人より優れているわけではない。適切なところを外してしまえば、多すぎることも少なすぎることも同じように問題になる。
そう考えると、この言葉は今の暮らしやお金にも、意外なほどよく当てはまります。
お金のことは「足りない」ばかりが問題ではない
家計について考えるとき、私たちはつい「足りないこと」に目を向けます。
貯蓄が足りない。老後資金が足りない。保障が足りない。教育資金が足りない。
もちろん、足りないものを補うことは大切です。
でも、本当に気をつけたいのは、足りないことだけなのでしょうか。
たとえば、将来が心配だからと節約を徹底する。
貯蓄は増えるかもしれません。しかし、家族との時間や楽しみまで削ってしまったら、その家計は本当に豊かになったと言えるでしょうか。
病気が心配だからと保険を増やしていく。
保障は厚くなりますが、毎月の保険料が家計を圧迫すれば、別の安心を失うこともあります。
お金は、多ければ多いほど、備えれば備えるほどよいとは限りません。
投資にも「過ぎたるはなお及ばざるが如し」
投資では、この言葉がさらに分かりやすくなります。
値下がりが怖くて現金だけを持ち続ければ、物価上昇によってお金の実質的な価値が目減りする可能性があります。
一方で、資産を増やしたいからとリスクを取りすぎれば、大きな値動きに耐えられなくなるかもしれません。
「投資をしない」と「投資をしすぎる」。
一見、正反対に見えます。
けれど、自分の暮らしに合った位置から外れているという意味では、孔子が話した「過」と「不及」に似ています。
大切なのは、最大限に増やすことではなく、自分が無理なく続けられるところを見つけることです。
教育費も、老後資金も、正解は「最大」ではない
子どものためなら、できるだけ教育費をかけてあげたい。
そう考えるのは自然なことです。
ただ、教育費を優先するあまり、親の老後資金がほとんど残らなくなれば、将来別の負担を子どもに残すことになるかもしれません。
反対に、老後が不安だからと教育や家族の経験に使うお金まで極端に抑えることが、必ずしも正解とは限りません。
ここでも必要なのは、「できるだけ多く」ではなく、「わが家にとってどこが適切なのか」という視点です。
「ちょうどいい」は、人によって違う
難しいのは、この「適切なところ」に絶対的な数字がないことです。
貯蓄率は何%なら正解、保険料はいくらなら正解、株式比率は何%なら正解、と一つの数字で決められるものではありません。
収入も、家族構成も、年齢も、これからやりたいことも違うからです。
だからこそ、誰かの正解をそのまま自分に当てはめるのではなく、自分の暮らしから考える必要があります。
いま頑張っていることは、本当に「足りないから」必要なのでしょうか。
それとも、いつの間にか「やりすぎること」が目的になってはいないでしょうか。
足すことだけでなく、引くことも考えてみる
お金について学んでいると、「もっと」という言葉に出会うことが多くなります。
もっと貯める。もっと増やす。もっと備える。もっと効率よくする。
どれも間違ってはいません。
ただ、ときには「もう十分ではないか」と問い直すことも必要です。
二千年以上前の『論語』に残された「過猶不及」という短い言葉は、そんなことを思い出させてくれます。
足りないものを探すだけではなく、増やしすぎているもの、備えすぎているもの、頑張りすぎているものにも目を向けてみる。
家計を整えるということは、何もかも増やすことではありません。
自分と家族の暮らしにとっての「ちょうどいい場所」を探していくこと。
それもまた、お金との付き合い方の一つなのだと思います。
