
「やらなきゃいけないこと」が、毎日のように押し寄せてくる。
家事、育児、仕事、学校や地域の予定、将来のための情報収集や家計管理…。
そんな忙しさの中で、「なんのために?」と立ち止まる余裕もなく、
気づけば、自分の感情にすら耳を傾けられなくなっていることがあります。
「時間が足りない」「もっと効率的にこなさなきゃ」
そう思えば思うほど、予定を詰め込み、すき間がなくなっていく──
でも本当に足りないのは、時間なのでしょうか?
もしかすると、“余白”という感覚こそが失われているのかもしれません。
このコラムでは、「やらなきゃ」に追われる暮らしのなかで、
自分にとっての“余白”を取り戻すヒントを、静かに見つめ直していきます。
忙しさの中で立ち止まり、「ほんとうは、どうしたい?」と、
小さく問いかける時間を、いっしょに持ってみませんか。
「やるべきこと」に支配される日々
気がつくと、一日のほとんどが「〜しなきゃ」で埋まっていることがあります。
朝ごはんを作らなきゃ、保育園の準備をしなきゃ、仕事の締切を守らなきゃ、習いごとの支払いも忘れずに…。
誰に言われたわけでもないのに、
自分の中で“やるべきことリスト”が延々と更新されていく。
そのリストをこなすことで一日が終わり、また次の日が始まる。
もちろん、暮らしをまわすには「やるべきこと」は大切です。
けれども、その“やるべき”が自分を支えているのか、
それとも自分を覆い尽くしているのか──その境界線はとてもあいまいです。
心が置いてけぼりになっているのに、行動だけが前へ進んでいくと、
いつの間にか「自分が何を感じているのか」が見えなくなってしまう。
忙しさのなかで、「本当に今の自分が必要としていること」まで忘れてしまわないように、
立ち止まって、“リストに載っていない感情”に耳を澄ませることも、ときには必要なのかもしれません。
「空白」が怖くなると、暮らしは詰まっていく
スケジュール帳が空いていると、「何か入れたほうがいいのでは」と落ち着かなくなる。
子どもに何も予定がない日があると、「時間を無駄にしている気がする」と焦ってしまう。
そんな風に、予定や役割を“埋める”ことが習慣になると、
「空白=怠け」「空白=不安」と、無意識に感じるようになっていきます。
本当は、空白には呼吸があり、ゆらぎがあり、回復があります。
でも、その余白を恐れてしまうと、暮らしのすき間まで
“何かで埋めなければならない”と感じてしまうのです。
その結果、「忙しい」という状態そのものが、自分を安心させてくれるようになります。
なぜなら、忙しければ「ちゃんとしている自分」でいられる気がするから。
けれども、それが積み重なれば、
自分の暮らしは“情報”と“予定”と“やらなきゃ”で詰まりきってしまう。
心の呼吸ができなくなったとき、はじめてその重さに気づくのです。
空白は、埋めるためのものではなく、
“受け取るためのスペース”かもしれません。
余白をつくることは「サボること」ではない
「何もしない時間」を意識的につくると、
どこかで「これでいいのだろうか」と自問してしまうことがあります。
誰かの役に立っている実感や、予定をこなす達成感がないと、
自分の存在が少しあいまいに感じられてしまう。
だからこそ、何かしていないと“ちゃんとした人”ではない気がする。
でも、本当にそうでしょうか?
余白をつくることは、自分を甘やかすことではなく、
自分の輪郭を整え直す時間とも言えます。
考えごとにふけったり、ぼんやりと空を見上げたり、
なにげない動作に集中したり。
そんな“間”の中に、自分の内側から静かに湧いてくるものがあります。
家計や子育て、日々のタスクの中で見えなくなっていた
「本当は何を感じていたのか」「どう在りたいと思っていたのか」。
それらが、ふと顔を出す瞬間は、忙しさの中にはありません。
余白は、自分の奥にアクセスするための入り口です。
サボっているのではなく、「立ち止まる力」を育てているのです。
感情のスペースが戻ると、暮らしの意味が変わる
余白をもつことの本質は、時間の問題ではありません。
「感情が置き去りにされていないか」に気づくことです。
忙しさに追われていると、感情は“処理すべきもの”になってしまいがちです。
悲しみや疲れ、喜びや違和感さえも、すぐに分類し、片付けようとしてしまう。
でも、感情には「とどまる場所」が必要です。
それは言葉にならない気配や、意味のない沈黙、
ただ深く呼吸するようなひとときかもしれません。
そうした“感情のスペース”が戻ってくると、
目の前の出来事に対する見え方が少しずつ変わってきます。
同じ家事でも、「やらなきゃ」ではなく「整えること」に変わり、
子どもとの関わりも、「対応」ではなく「対話」へと変化していきます。
感情に居場所ができると、自分の中の“流れ”が戻ってきます。
それは、暮らしにとっての血流のようなもので、
どんなに小さな行動にも、やさしい意味が宿るようになるのです。
やらなければならないことの中にも、感じたいことがある。
その視点があるだけで、暮らしは“こなすもの”から“生きるもの”へと変わっていきます。
まず、自分の「余白」に目を向ける5日間を
忙しさや義務感に包まれていると、自分の内側が遠くなっていく。
でも本当は、すこし立ち止まるだけで、
感じていたこと、忘れていた願いに、静かに触れられる瞬間がある。
暮らしに“余白”を取り戻すということは、
ただゆるめることではありません。
本当の意味での「自分の輪郭」に気づいていくプロセスです。
もし今、何かに追われるような日々を送っているなら、
ほんの少し、感じ方を取り戻す時間を設けてみてください。
まねTamaでは、そうした感覚を取り戻すきっかけとして、
“静かに学ぶ5日間”の無料プログラムをご用意しました。
行動や家計の見直しも大切ですが、
その前に「どう在りたいか」を見つめ直す時間を持つことで、
すべての選択が変わりはじめます。