「保険は入っておかないと不安」──その不安、どこから来てる?
「もしものときのために、やっぱり保険は必要だよね」──そう思って、なんとなく加入してきた保険。
でもふと気づけば、毎月の保険料が家計を圧迫していたり、内容がよくわからないまま契約を続けていたり…ということも少なくありません。
本当にその保険が“わたしたちの暮らし”に合っているのか。
そもそも「不安だから入る」ことは、果たして安心につながっているのか──。
保険を選ぶ前に、まず「不安との向き合い方」を見直すことが、納得できる備えの第一歩かもしれません。
このコラムでは、「保険=安心」という前提をいったん脇に置いて、暮らしとの整合性、自分たちらしい備え方について考えていきます。
『入っててよかった』と思いたい心理──安心と保険のすれ違い
保険に入っていると、「もしものときも安心」という気持ちになります。実際に病気やケガで給付金を受け取ったとき、「入っててよかった」と実感することもあるでしょう。
でも、よくよく考えると──「入っててよかった」と感じるには、“何か起きた”という前提が必要になります。つまり、給付されることが前提になってしまうと、逆に“何も起きないと損”のような気分になることもあるのです。
本来、保険は「使わずに済むのが一番」なはず。それなのに、“使わないと損”と感じてしまうのは、私たちが「安心」=「保障でカバーされていること」と短絡的にとらえてしまっているからかもしれません。
たとえば、複数の医療保険・がん保険に加入している方の中には、「どれも必要だと思っていたけれど、内容をよく見たら似たような保障ばかりだった」「実はほとんどの治療費は高額療養費制度でまかなえることを知らなかった」と気づく方も少なくありません。
「備えが足りないと不安」「足りてないと思われたくない」──そうした感情が、結果として“本当に必要なもの”よりも“とにかく手厚いもの”を選ばせてしまう。
そこにこそ、保険と安心のすれ違いが生まれる原因があります。
“公的制度”という土台を知らずに「民間保険だけ」で備える危うさ
「もしもの備え」として、保険に入る人は多いですが──実は、日本にはすでにある程度の「公的保障の仕組み」が整っています。
たとえば医療費。健康保険が適用されれば、自己負担は基本的に3割。さらに高額療養費制度によって、一定額を超えた分は払い戻されます。
介護が必要になれば、介護保険制度で在宅サービスや施設利用の支援が受けられます。
また、家族を失ったときには「遺族年金」、重い障害が残った場合には「障害年金」、老後には「老齢年金」と、人生のリスクごとに一定の制度が用意されているのです。
それでも多くの人が民間保険に頼りすぎてしまう背景には、「公的制度の存在自体を知らない・理解していない」という実情があります。
たとえば、次のような事例は少なくありません。
- すでに高額療養費制度でカバーされる医療費に備えるため、複数の医療保険に加入していた
- 介護保険を知らずに、高額な民間の介護保険を契約したが、内容が重複していた
- 収入保障保険と遺族年金の内容が似ていたが、違いを知らずに両方契約していた
公的制度は完璧ではないけれど、その“土台”を理解していないと、必要以上に「安心」を買い足そうとしてしまうのです。
大切なのは、まず制度でどこまで守られているのかを知り、そのうえで足りないところにだけ、民間保険で補うという発想です。
本当に必要な保険は「暮らしと優先順位」から考える
「保険に入るべきかどうか」と迷ったとき──一番大切なのは、自分たちの暮らしの現実と向き合うことです。
同じ年齢でも、生活スタイルや家計の状況、将来の見通しはまったく違います。たとえば──
- 子育て中の共働き家庭なら、万一のときに収入が途絶えないよう、生活費をカバーする保障が重要
- シングル家庭なら、世帯主の健康と収入に大きく依存するため、長期的なサポート体制を重視
- 親と同居の世帯であれば、住居費の負担が少ない分、必要保障額も下がるかもしれません
- 持病のある方は、医療費の自己負担や入院期間の見込みに応じた備え方が求められます
つまり、「一律でおすすめできる保険」など、本来は存在しないのです。
雑誌やネットのランキングを鵜呑みにせず、「自分たちにとっての優先順位」は何かを、家計や将来設計と照らし合わせながら考えていくことが重要です。
たとえば、現時点では家計に余裕がなくても、公的制度と最低限の保障でスタートし、将来余裕ができたら保障を追加するという段階的な設計も可能です。
保険は「安心を買うもの」ではありますが、その安心もまた、自分たちの暮らしとバランスがとれてこそ価値があります。
「保険に入る」ではなく、「不安とどうつきあうか」へ
保険を検討するとき、多くの人が「なんとなく不安だから」という理由を挙げます。ですが──その「不安」とは、一体何でしょうか?
たとえば、「病気になったらどうしよう」という不安には、
- 入院した場合の医療費が心配なのか
- 仕事を休んだときの収入減が不安なのか
- 家族に迷惑をかけることが気がかりなのか
など、さまざまな“中身”が含まれているはずです。
不安の中身に名前をつけること。それが、自分に本当に必要な備えを見つける第一歩です。
保険は、入ることで一時的に安心感を得られるかもしれません。でも、「なぜその保険を選んだのか」を自分で説明できないまま加入すると、後で後悔することもあります。
逆に、「これは自分たちの暮らしに必要だから」「こういうリスクに備えるために加入する」と自覚的に選んだ保険は、不思議と“安心感の質”が変わります。
選んだという実感は、自分の暮らしを主体的に守る力を育ててくれます。
だからこそ、保険を考えるときには、「入る・入らない」よりもまず、「自分がどんな不安を抱えているか」「それにどうつきあいたいか」を丁寧に見つめてみることが大切なのです。
“備える”ことの本質は、「自分の感覚を信じられること」
「なんとなく不安だから」「まわりが入っているから」──そんな理由で保険を選んでしまうと、選択の軸がどこか他人任せになります。
でも本来、“備える”という行為は、未来に対して「これで大丈夫」と思える自分をつくること。自分の判断を信じられる感覚こそが、もっとも大きな安心につながります。
不安から逃げるように加入する保険ではなく、納得して選んだ備えがあること。その感覚が、暮らしを支える“内側の安心”を育ててくれるのです。
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